By HIROKO TABUCHI
公開日:2011年1月2日
発信地:柏(日本)
(本文)
マリア・フランシスカさんは、インドネシアからの勤勉で若い看護師で、日本における高齢労働力を補充するために必要と思われる労働者のひとりだ。
しかし、フランシスカさんは26歳、日本への滞在のために戦っている。東京郊外の病院で働く彼女は、3年間の滞在期間の延長をするために、日本語で標準看護試験に合格しなければならない。その試験はとても難しく、2007年以来インドネシアとフィリピンからの看護師600人の受験者のうち、たったの3人しか合格していない。
そのため、フランシスカさんは、病院での仕事に加えて毎日8時間を日本語の勉強を費やす。彼女の辞書は数えきれないほどの辞書引きでページの隅が折れてしまっている。でも彼女は決心を固めている。彼女の初任給であるの月2,400ドルという金額は、インドネシアで稼げるお金の10倍に相当する。でももしだめだったら、同じプログラムで日本に再度戻ってくるチャンスはもうないだろう。
「私は、ここで何かできることがあると思う。」フランシスカさんは言う。取材時、彼女は仕事中で、脳卒中から回復した80歳の患者のムラマツヘイイチさんの口へご飯や野菜の食事を運んでいるところだった。「もし、試験に受かれば、日本に長く滞在したいと思うけど、簡単じゃない。」
日本は、人口の高齢化に伴い労働力不足に直面しているにもかかわらず、移民に対してほとんど門戸を開こうとはしていない。実際、フランシスカさんや似たような立場の人たちは、次第に判ってきている。政府は、実際は逆向きのことを行っており、小さな利益団体を保護しながらも、外国人労働者や大学や専門学校の外国人卒業生には、積極的に帰国を奨励している。フランシスカさんの場合には、地元の看護協会が、外国人看護師の流入により業界の給与が下がることを恐れているのである。
2009年、外国人登録者数は政府がほぼ50年前に年次数値を取り始めてから、初めて減少した。前年比1.4%縮小し219万人で、日本の総人口の1億2,750万人のたったの1.71%であった。
専門家は言う。移民の増加は、日本のこの20年に渡る無気力な経済成長に対する一つのはっきりとした治療要因となる。しかし、若年労働者を受け入れることや移民労働者と斬新なアイディアとともにやっていくことよりも、国の経済成長を妨げ、慢性的な財政赤字に対処するための努力を妨げ、社会保障システムを破産させる、この日本人口の危機に対して、東京都自身がすでにあきらめているようである。
「もしあなたが医療分野にいるのなら、日本が生き延びるためには外国人労働者が必要なことは明らかです。しかし、まだ抵抗がある。」とシンタニタカヨシ氏は言う。彼は東京郊外の病院で働くフランシスカさんをはじめ他の3名の看護師を後援している医療サービス会社の会長である。「その試験は、外国人たちが不合格になるのを確認するためのものです。」と彼は言う。
Tan Soon Keongさんは、英語、日本語、北京語、広東語、福建語の5カ国語を話す学生で、工学の学位と母国のマレーシアでの3年間の実務経験を持っている。グローバル化を目指す日本の企業らにとっては、重宝がられる実績がある。
それでも、と彼は言う。来春東京郊外の大学での2年間の技術的なプログラムを終えた時に、日本で仕事に就けるかどうか自信がない。一つには、新卒者として雇用するには年齢の上限を設ける会社が多いこと。26歳というのは、ほとんどの会社で相手にしてもらえない。今年は外国人を採用していない、と皆が言っている。
Tanさんだけではない。2008年、日本の大学や専門学校を卒業し就職できたのは13万人のうちでたったの1万1千人だけだった。この数字は就職企業毎日コミュニケーションズによるものである。日本の企業がもっと事業のグローバル化を図ろうと、さらに外国人を雇用すると公表している一方で、まだまだそういった企業は少数派に過ぎない。
「私はマレーシアへ帰らなければならない覚悟はできています。」Tanさんは先日の東京で開催された外国人学生のための就職説明会で言っていた。「トヨタみたいな会社で働くのが理想です。」彼は言う。「ただ、非常に難しい。」
日本は業界の熟練した人材を失っている、と専門家は言う。投資銀行は、例えば、香港やシンガポールのような拠点に、より多くの職員が移動している。より多くの外国人に馴染みやすいな移民政策や課税制度を持ち、安い居住環境やより良い英語を話す地域人口を有しているからである。
在留資格のための新しい申し込みを提出した外国人は、(在留資格には特殊技能の職業を必要とするため、高度熟練労働者の重要な指標であるが)は1年前の2009年から49%下落し、わずか8,905人であった。
日本への移民への障壁は多い。制限の多い移民法のために、国が労働力不足に直面している農場や仕事場と外国人労働者との接触の機会がなく、途上国からの労働者に対する研修プログラムが悪用されるケースや、不法移民を助長するケースもある。厳格な資格要件は熟練した外国人職人を閉め出し、一方では、複雑なルールや手順を必要とするウェブサイトのために、日本での起業を考えてもなかなか実現していない。
求人や景気の今後の見通しがはっきりしないため、大学も外国人留学生の登録人数を引き上げることができないでいる。そして、現在の厳しい経済情勢の中で、地元の収入が減り、日本人の大学新卒の就職が困難な状態で、このような微妙な話題を切り出すほどの政治的な意志も乏しい。
しかし、日本の人口体系はどんどん変化している。政府の予測によると、日本の人口は50年以内に9,000万人と現在の約3分の1が減る。2055年までには、3人に1人は65歳以上となり、労働年齢人口は5,200万人と3分の1以上の減少となる。
とはいえ、政権を譲った自民党の重量級のひとりが、2008年に少なくとも1,000万人の移民を受け入れる声明の計画を発表したとき、世論調査では、大多数の日本人が反対していたことが明らかになった。朝日新聞で行った約2,400人の有権者に対する今年の初めの調査では、回答者の65%がよりオープンな移民政策に反対していた。
「人口減少は最大の問題です。国がその存続のために戦っている。」サカナカヒデノリさんは、日本移民政策研究所、独立した研究組織の責任者である。 「アメリカは、何よりも先に、世界中から人々を引き付けるため、活気に満ちた国づくりに努めている。」と彼は言う。 「一方で、日本は、海外からの人々を閉め出すことに満足している。」
さらに悪循環なのは、日本の経済的苦境のために、移民政策進展や移民サポート不足と結合し、ここを定住した貴重な数の移民の流出を引き起こしている。
サイトウアキラさん、37歳で日系ブラジル人で20年前にサンパウロから豊田市(愛知県)にやってきた。彼は日本を離れるつもりの外国人労働者である。一連の工場労働の後、始めた小さな自動車修理工場もうまくいかず、奥さんのTiemiさんを働かせている衣料品店も間もなく閉店する予定だ。3人の小さい子供は地元のブラジル人学校に通っているが、残っているブラジル人生徒は僅かである。
サイトウさんと同じようなブラジルから来ている人たちの多くは、この世界的な経済危機の余波で職を失い、今のところ政府の支援も十分ではない。一部の地域では失業した外国人労働者に帰国を奨励することを意図した議論すべき政府主催のプログラムから、資金をまきあげているケースも散見される。
サイトウさんは話す。「わたしは、うまくいくと思って日本に来た。でも最近は、ブラジルへ帰ったほうがうまくいくんじゃないかと感じる。」
日本は第二次世界大戦後の数十年の間、かなりの人数の移民を受け入れてきたが、製造業や建設業のような産業に労働者を供給する方法として、移民制限を緩和するように実際に政府に圧力をかけるような、1980年代の日本の"バブル経済"の始まりまでは、続かなかった。
続いて起きたのが、政策立案者が国の民族同質性をそのまま維持することを考え、移民法の改正したことだ。1990年、外国人に対し日系人専用のビザを発給し始めた。前世紀に、生きるチャンスを求めてブラジルに移住した、日本人の子孫のような外国人に対してのものだ。1990年代には、サイトウさんのような仕事を求めて来日する日系ブラジル人の数が急増した。
しかし、政府は外国からの移民人口を日本の中に統合することはしなかった。例えば、外国人の子どもたちには義務教育を免除し、一方では非日本語圏の子どもたちを受け入れる地元の学校に対して、学校として彼らの教育に必要なことに対する行政的援助は全くない。支援者は言う。多くの移民の子供は脱落し、豊田市の多くの外国人労働者はブラジルに帰りたいと言っている。
「日本は移民と地域社会との強いつながりを構築しない。」豊田市で移民の子供たちのための学校を運営するノモトヒロユキさんは言う。
この国は、その最先端技術、そのポップカルチャー、そしてその発展した消費社会が提供する表面的な無限のビジネスチャンスを十分理解できるような人たちにとっても、魅力を失いつつある。
「日本を訪れる人たちは東京へやって来て、そのようなハイテクやカラフルな都市を見物する。彼らはこの輝きを彼らの目で捉え、ここへ移り住みたいと言う。」2005年以来、日本に住んでいるアメリカの起業家のTakara Swoopes Bullockさんは言う。「但し、ここで商売を始めるのは全く別の話。みんな、わけが分からずに逃げ出していく。」
(終)
参考ニュース:「看護師・介護士 来日辞退相次ぐ」4月18日 NHKニュース
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