2011年3月31日木曜日

よちよち歩きの双子の会話 あなたは理解できますか?

The New York Times (オリジナル原文はこちら)
By TARA PARKER-POPE
公開日:2011年3月31日

おむつ姿の双子のビデオ、台所での嵐のようなおしゃべりはウィルスのように広がり、何百万人の視聴者にこのよちよち歩きの幼児は何を話しているんだろうと思わせる。

音声の専門家は、このビデオは言語発達の最初の部分をとらえているという。ただ、本来の会話というよりはうわ言や擬態に近い。

「双子は独自の詳細な言語(双子の言語)を生成する能力があると信じる人もいるが、十分に発達した言語システムの面では、必ずしも正しいとは言えない。」スティーブン・カマラータ博士、ヴァンダービルト大学で聴覚、音声科学の教授は言う。
「彼らは、行ったり来たりのやり取りを楽しんでいるが、特定の会話をしているわけではない。例えば、『おい、ママが俺たちのことビデオで撮ってる。見ろよあの髪の毛。』と言ったような。」

このビデオは2月にYouTubeに投稿されたもので、TwinMamaRama.comというブログから来ている。このブログはふたりの母親が書いており、名前は書かれていないが、彼女自身も双子だと書かれている。ビデオの中で、ふたりはおむつとくつ下だけという格好で、冷蔵庫の前で激しく活気に満ちた会話を繰り広げる。彼らは指差し、足を踏みならし、笑う。まるでお互いにしゃべり合っているように。このビデオは600万人以上の人たちに視聴され、テレビのモーニングショーにも取り上げられている。

カマラータ博士は、このビデオは子どもたちがどう言語を開発していくかというサンプルが多く含まれていると言う。正統派のおしゃべりに満ちていて、母音、子音、単語に似た音節を
使っているので音声のように聞こえる。ほとんどの健康な赤ちゃんが、言語発達で同じ段階を踏んでゆくが、ほとんどの時間は主に両親や年上の兄姉と触れ合うためにその会話は一方的である。双子の交流で何が特別なのかは、言語を練習する同等能力の相手がいるということだ、と彼は言う。

「注目すべきことは、ふたりともイントネーションのパターンを持っていることだ。」彼は言う。「彼らが、話しているようで、声明を発しているようで、質問をしているように聞こえる。我々が言語の中で使う標識よりも幅広いものをふたりは使っている。」

彼は言う、ふたりに台所でのこの会話を見せたら、再演するかもしれない。

「子供たちはとても賢くて、大人から見たり学んだりする。」と博士は言う。「もし台所で、夫婦間や家族の間で会話が無いようだったら、彼らはそれをまねる。このイントネーションパターンは両親から学んだものに違いないと思われる。」

カマラータ博士は、自閉症や他の障害の結果として、しゃべるのをが遅れている小さな子どもたちとしばしば関わるので、このビデオは特に喜びを感じると言う。彼は、このビデオを見た両親が自分の子供の驚くべき発達の重要な段階を祝うために思い出すこと期待すると言う。

「このふたりはお互いに、とても自然で自由なやり方で交流しているし、そこには本当に落ち着いた豊かなものが豊富にある。」と彼は言う。「もしあなたが、子供の活動を操作する人々の時代に、ちょっと迷っていると思うかもしれない。私が心配するのは、よちよち歩きの幼児たちが本当に興奮しておもしろがっている自然なこういった行動を、私たちが求めなくなったり祝福したりしなくなっていることだ。」
(終)

「開催危機にさらされる」メトロポリタンオペラ日本公演

The New York Times (オリジナル原文はこちら)
By ROBIN POGREBIN
公開日:2011年3月30日


メトロポリタンオペラ(ニューヨーク)は、6月に予定する日本ツアーを実施するかどうかを議論を続けている。そのツアーは数年間に渡り計画され、2006年以来の来日となるかなり大がかりなものである。

ピーターゲルブは、メトロポリタンオペラのゼネラルマネージャーで、火曜日に安全性の懸念について労働組合の代表者との会い、水曜日には会社全体に対して方針を発表し、「この時点では危険にさらされている。」ツアーについて説明を行った。

ゲルブ氏は「先遣隊が、5月の中旬に出発する前には」原子炉での問題によるすべての危険性を十分に検討されるだろうと述べた。

3週間のツアーは、6月4日の名古屋愛知芸術文化センターで幕を開けることになっている。これは7度目の来日ツアーであり、ほぼ東京のジャパンアーツコーポレーションが主催している。「私たちは、この状況が改善され予定通りツアーを行うことができることを期待していると伝えている。」 ゲルブ氏はこのツアーの契約を結んでいるジャパンアーツについて語った。

バイオリニストの、アンネ=ゾフィームターとアメリカンバレエシアターは、ジャパンアーツが主催する今後数ヶ月間に渡って日本で開催されるイベントへの出演が予定されている。ロックアーティストのスラッシュ(以前のガンズアンドローゼズ)は、3月11日の地震の直後に大阪で公演を行ったが、東京と横浜での3公演をキャンセルすることを余儀なくされた。

ゲルブ氏は方針の中で、「良くも悪くも」今後の状況が変わる可能性があるため、来日ツアーを催行するかどうかをツアーの出発の8週間前の現時点で判断するのは、時期尚早だろうと言っている。「もしアメリカ国務省がその時点で、日本への旅行に対して注意喚起を警告し続けていた場合には、私たちはもちろんツアーをキャンセルする」と彼は言った。

水曜日の国務省の旅行勧告では、「日本への旅行は当面延期することと、日本国内の米国市民は出国を考慮する必要があることを、強く求めている。」

アラン・ゴードンは、音楽アーティストのアメリカの同業組合全国理事で、オペラ会社の多くを主催している。「歌手たちは日本へ出かけることと、家族を連れて行くことを心配している。我々は、時間をかけて、何が起こるかを見極める必要がある。ただ個人的に行くことができないと決定する人も出てくるであろうと予想している。」

マービスマーティンは、コーラスでソプラノを担当する。インタビューの中で、彼女はこのツアーのために危険にさらされる人がたくさんいると思ったことを語った。 「まだ少し時間がある」と、彼女は言う。「この注意勧告が出発ぎりぎりまで続き、日本側からこのツアーがキャンセルされるのを期待している。そうすれば私たちはキャンセルを決断する必要がなくなる。私は健康を危険にさらしたくないし、心の叫びは『ごめんなさい。行けない。』と言っている。しかし現時点では、メットが考えているように出発することになりそう。」

メットの音楽監督は、ジェイムズ・レヴァインで、3つのフルステージの公演のうちの2つを指揮することになっている。プッチーニの「ボエーム」、ヴェルディの「ドンカルロ」の2演目だ。ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」はジャナンドレア・ノセダが指揮する。メットの広報担当者は、レヴァイン氏はツアーについて話はできないと言ったが、彼のマネージャーであるロナルド・ウィルフォードによると、「レヴァイン氏はメットの決定に従う。メットが日本に行くことができて危険性はないを考えるなら、彼は行くと思う。私はそれについて彼と話をしていないし、私は話をするつもりはない。」

メットは、このツアーがキャンセルされた場合、経済的にどれだけ問題になるか明らかにしなかった。 このツアーは、2009年11月に発表、全13公演が予定され、ソロ歌手、オーケストラ、合唱、バレエ、管理および技術スタッフを含め350名以上のスタッフが関わっている。 予定されているスター歌手は、 Ildar Abdrazakov, Piotr Beczala, Olga Borodina, Joseph Calleja, Diana Damrau, Barbara Frittoli, Dmitri Hvorostovsky, Jonas Kaufmann, Mariusz Kwiecien, Zeljko Lucic, Anna Netrebko, René Pape そして Susanna Phillipsらである。

名古屋での公演の後、ツアーは文化会館とNHKホールでの公演のため東京に移動することになっている。コンサートホールは、原子炉が地震で被害を受けた福島第一原発から約170マイル(約270km)である。

メット初の日本でのツアーは1975年、直近の来日は2006年だった。ツアーのリードスポンサーはKDDI株式会社で、日本に拠点を置く通信会社である。このシリーズが2006年に始まって以来、映画館でのメットのライブパフォーマンスのメットの上映は、日本では定期的に行われている。

ニューヨーク日本総領事館の広報担当者である、カワグチナオコさんは、文化的な団体が日本への訪問をキャンセルするとは思いもよらなかったと言っている。原子炉から離れた地域は安全で彼女は言う。「東京での暮らしは以前のままだ。」

ケリー・ライアンさんはアメリカンバレエシアターのための広報担当者で、7月に東京で公演予定となっている。彼女は言うには、当団体は状況を静観している。「どちらにしても、現時点では、意思決定するには時期尚早だと感じている。」と彼女は言った。

ジャパンアーツは、日本でのツアー主催者だが、コメントは得られていない。しかし、そのウェブサイトでは、世界有数のオーケストラ、オペラ団体やダンスカンパニーを日本へ呼び寄せるのは、「真の芸術の力を体験することで人間が人生の至福を与えられるという信念に基づいている。」と書かれている。

ギタリストのスラッシュは、3月の大阪でのコンサートの後すぐに日本を去ったが、コンサートの直後のツイッターで綴っている。「今夜はすばらしい大阪でのライブだった。起こった災害にもかかわらず、観客はすごい気迫だった。」
(終)

2011年3月30日水曜日

低レベルの放射線、アメリカの牛乳でも発見される

The New York Times (オリジナル本文はこちら)
By MATTHEW L. WALD
公開日:2011年3月30日

ワシントン州のスポケーンで先週採取された牛乳サンプルのテストによると、日本の福島第一原子力発電所からのものとみられる放射性ヨウ素の存在を示した。但し対策がとられるようなレベルよりははるかに低いものだ、と環境保護庁が明らかにした。

液体中の放射性物質はリットル当たりピコcuriesで測定されるが、3月25日採られた牛乳サンプルは、0.8ピコcuriesの数字を示したと担当者は言った。これらの数字は、食品医薬品局によって設定された「介入すべきレベル」の5,000分の1の数字であった。

「この種の調査結果は、数日中にあると予想されており、公衆衛生上で懸念されるレベルをはるかに下回り、幼児や子供を含めて問題はない。」環境保護庁は言っている。

空気に含まれるヨウ素131のレベルは非常に薄められるが、牛が食べる草にヨウ素が堆積した場合は、それを食べた牛は牛乳として1000倍に濃縮する。これは主に新鮮なミルクに関する懸念であり、消費する前に貯蔵、製造される乳製品に対してのものではない。

ヨウ素131の半減期は8日で、8日ごとに半分その強さを失うことを意味する。福島原子炉からのヨウ素131の放出は、3月11日にシャットダウン時に停止しているので、すでに2回の半減期が過ぎており、ミルクはチーズやヨーグルトとして製造される前に再度1、2回半減することになる。

ヨウ素131は、電子のようにベータ粒子を放出する。人間の体の外的要因としては大きな危険性はないが、大量投与により目の角膜を損傷することがある。

問題は、ベータ粒子を放出する素材が、摂取もしくは吸入された場合に発生する。ヨウ素131は化学的に通常の非放射性ヨウ素と同一であるため、通常のヨウ素と同様に体内に甲状腺を中心に吸収され、小さな臓器への集中的に投与される結果となり、がんを引き起こす可能性がある。

1986年のチェルノブイリ原発事故では、最大の健康への影響は甲状腺がんの症例で、特にウクライナの原子力発電所の近くに住んでいた子どもたちに対するものであった。
(終)

2011年3月25日金曜日

洗濯

だいたい、金曜日に洗濯してます。やはり週末は普通の人たちで混み合いますから。

洗濯機は2台使います。一番奥の右側のこの2台がお気に入りです。これが空いていないとちょとがっかりします。1回$1.25だから2台で$2.50です。所要時間38分。

乾燥機は1台です。一番手前の右側のこれがお気に入りです。1回$1.25。所要時間50分。運転中に$.25を追加で入れると10分ずつ追加できます。

全部で$3.75。全部$.25(quarter)クォーター硬貨で払わなくてはいけないので、毎回15枚のquarterが必要です。

銀行でまとめて両替するときが多いですが、スーパーなどでセルフチェックアウトする時には、せこいですがわざとおつりがquarterになるように細かいコインを入れたりします。そしてquarterは小銭入れには入れておかないので、私の小銭入れにはコインがたまりません。わたしの知っているアメリカ人は支払いにコインは一切使わないし、そういう人が結構多いんじゃないかと思います。

よい週末をお過ごし下さい。

楽観視できない、日本の発電所での新しい問題

The New York Times (オリジナル記事はこちら)
By KEITH BRADSHER
公開日:2011年3月23日

(本文)
熱波や放射性蒸気の爆発にもかかわらず、今週、勇敢にも被災原子力発電所の6つのすべての原子炉建屋にワイヤを繋いだ日本の電気技術者たち。

福島第一原子力発電所で電気の復旧は、危険性を下げるものと期待していた。しかし、核技術者が言う、最も困難で危険な作業らに取りかかるのははこれからで、そして修理チームの側においては時間は必ずしも必要ではないと。

タスクには、手動で何百ガロンもの放射性の水を排出し、排水ポンプから放射性ガスを放出し、過熱炉容器の下に斜めに配置されている冷却システム緊急時の配管があります。現場からの放射能汚染の拡散を食い止める緊急性については、幼児が水道水を飲んではならないという水曜日の健康に関する警告でも強調されていた。140マイル南西に離れた東京ですら、大規模な汚染についての警告を発している。

「事故を回避したと言えるまでには、少なくとも10日間から2週間はこの潜在的な作業を続けなければならない。13年の原子力発電所のオペレータとして働いていたMichael Friedlanderは言う。」

原子力のエンジニアたちは徐々に、日本の技術者たちに早く作業するようにと圧力をかけられるのではないかという別の問題への懸念を始めている。というのは、原子炉内部の塩、これはより高温にと作用するものであるが、最悪の場合には、ウランの溶解を引き起こし放射性物質の範囲を広げることにつながる。

Richard T. Lahey Jr氏は、福島第一工場に沸騰水型原子炉を設置したゼネラルエレクトリック社の当時の安全研究課長は、海水が原子炉に注入され蒸発すると、塩がさらに残ることになる。

彼の見積もりでは、1号機では57,000ポンド(約28.5トン)、2号機3号機ではそれぞれ99,000ポンド(約49.5トン)の塩が蓄積しているのではないかとしている。

大きな疑問は、その塩のうちどれだけがまだ水と混ざり合うかということと、現在、どの程度の塩がウラン燃料棒に痂皮(かさぶた)のようになってしまっているのかということだ。

痂皮は、燃料棒を水から隔離し、燃料棒を高温にさせてしまう。痂皮が厚くなると、燃料棒間に水が循環するのをブロックしてしまう。燃料棒が高温になるにつれ、ジルコニウムの被覆が破壊され、気体状の放射性ヨウ素の内部が拡散し、さらにはウランのの溶解を引き起こし多くの放射性物質が放出される場合も考えられる。

しかし、塩の中には、むしろ燃料棒に付着するよりも、原子炉容器の底に沈殿するかもしれない。

冷却で使われた海水の一部が海に放流されていると、日本では報道されている。塩の一部も排出されているかもしれないが、放射性物質が含まれている可能性もある。しかし、明らかにかなりの量の塩が残っている。

日本の原子力安全規制当局は水曜日に、海水の代わりに淡水を利用できるように器機の変更を行っていると報告した。
(つづく)

2011年3月24日木曜日

日本の原子力危機、米国での使用済核燃料の戦いを再燃させる

(オリジナル記事はこちら)
The New York Times
By MATTHEW L. WALD
公開日:2011年3月23日
発信:ワシントンDC

(本文)
日本の原子力発電所での高レベル放射性使用済燃料の放出の脅威のため、米国ではどのように核廃棄物を管理する方法ついての議論を再燃しており、ネバダ州の国の保管場所のための脱線した計画に対する新しい非難を呼んでいる。

米国の原子力発電所で使用済燃料を保管するプールは、日本の原子炉で比べてさらに重く詰め込まれ、専門家によると、日本のものよりも脅威に対して脆弱な場合もあるとされている。しかし、電力会社は、それらを安全性を高めるために9月11日のテロ攻撃以来、措置を講じている。

これらの懸念に加えて、廃棄物を移動する計画がないために、ネバダ州の砂漠地帯のユッカマウンテンを保管場所にする提案が浮上している。オバマ大統領は、彼の2008年キャンペーン期間中にこのプロジェクトを中止すると約束し、去年エネルギー省に対しその建設許可のために原子力規制委員会に提出された申請を取り下げるように伝えた。

議会ではフラストレーションが高まっている。 「あなたはその手で邪悪な混乱を招いている。」ミシガン州の民主党のJohn D. Dingellは下院小委員会において、原子力規制委員会の会長のGregory B. Jaczkoの会長にそう言った。「使用済燃料を積み上げ続け、ひとつのプールに格納できる2倍の量になっていて、スペースが不足している。政府には他の場所での長期計画はないのか?」

議会は1987年、ユッカマウンテンを廃棄物処理場のための第一の選択肢としたが、その時点では工学的研究を保留した。立法府議員の多くは、オバマ政権はこのプロジェクトを停止する権限を欠いており、現在の所在から移転されるプロジェクトを復活させるべきだと言う。

ユッカマウンテンへのプロジェクトは共和党と民主党の両方で支持が強い。しかし、ネバダ州の上院多数党院内総務のHarry Reidはそのプロジェクトは廃案だと地元で公約している。

もし、国民的な考えがユッカマウンテン計画を復活させる方向であったとしても、少なくとも支持者が認めた10年間は核廃棄物を受け取ることはできないだろう。

オバマ大統領がユッカマウンテンのプロジェクトを停止する前に、当局者は、建設を承認するために5年、さらに燃料を受け入れる準備を整えるのに6年かかると考えていたと、公共事業規制国家委員会での核廃棄物の専門家である、Brian O’Connell氏は言う。

10年以内に核廃棄物の受け入れを開始するには、「あらゆるものに対して青信号が点灯する必要があるだろう」とBrian O’Connellは言った。「日本で事故が起きたことで、この動きはさらに減速するだろうと予想される。」

科学者やエンジニアたちが提案するのは、暫定的な修正プログラムとして、多くの使用済燃料を多くの発電所ですでに利用されている乾燥樽に格納することだが、離れた都合のよい場所へ運ぶことのほうが好ましいだろう。これらの乾燥樽は老朽化しているか、腐食が進んでおり、高いレベルのセキュリティが必要となるものがある。
(つづく)

2011年3月22日火曜日

日本は去る2月、警告にもかかわらず、原子炉の操業延長を承認(福島第一)

(オリジナル記事はこちら)
新聞名:New York Times - National Edition
記者名:HIROKO TABUCHI, NORIMITSU ONISHI and KEN BELSON
公開日:2011年3月21日(月) 紙面掲載日(アメリカにて):2011年3月22日(火)
発信地:東京

(記事本文)
日本の核の危機の中心となっている福島第一原発を、強力な地震と津波が襲うちょうど1ヶ月前、政府の規制当局はその安全性に対する警告にもかかわらず、発電所の最も古いとされる6つの原子炉の10年間の操業延長を承認した。

その規制委員会は延長の見直しの中で1号機におけるバックアップディーゼル発電機の亀裂を強調し指摘していた。これは規制委員会の会議後に日本の原子力規制機関のサイトに掲載された審議の概要によるものだ。亀裂はエンジンが海水や雨水により腐食し、脆弱性を増大していた。発電機は、津波で破壊されていると考えられており、原子炉の重要な冷却システムを失っている。

そのため東京電力は、原子炉、使用済燃料プールを過熱や放射性物質を放出から防ぐのに、非常に苦労している。

原子炉の操業延長が認められて数週間後、東京電力は発電所の6つの原子炉の水ポンプ、ディーゼル発電機を含む冷却システム関連機器の33箇所を、検査していなかったことを認めた。これは地震の直前に原子力規制機関で公開された結果によるものだ。

規制者たちは言う。「保守管理が不適切で、検査の品質が不十分であった。」

それから2週間も経たないうちに、この地震と津波が発電所を襲った。

原子炉の操業を延長する決定は、6つすべての原子炉での検査の倦怠と合わせて、批評家たちが言うところの発電事業者とそれらを監督する日本の規制当局の間の不健全な関係として焦点される。延長を推進した専門委員たちは、ほとんどは学界出身で官僚意思決定を支え、彼らを雇用する組織に対して意見するようなことはほとんどない。

原子力発電に対する国民の反対で発電所を新しく作ることは困難なために、不均一な安全記録と隠蔽の歴史にもかかわらず、原子力事業者たちは40年という法定限度を超える原子炉の使用を拡張するための運動を行っている。政府は、原子力エネルギーの利用拡大と輸入化石燃料への依存度を減らすことに前向きで、大きくこの動きに同情的である。そのような拡張の動きは世界的な傾向でもあり、老朽化した発電所が長く稼働させられているのである。

日本では、来たる10年間において、さらに13の原子炉と福島第一の他の5つが稼働40年に達し、巨大な交換費用の見通しを引き上げている。それが、老朽化した発電所の監査担当である原子力保安院の委員会が独自の調査結果をもみ消したりしている理由の一つだと批評家たちは言う。

2月初旬の操業延長を認める中で、規制員が東京電力に対して以下のことを監視するように申し入れている。これは2月初めに発表した報告書によるものである。
・燃料棒を保持している原子炉の圧力容器への、放射線からの潜在的な被害。
・suppression chamberを消すためのスプレーヘッドの腐食。
・原子炉のキーボルトの腐食。
・原子炉に水の流れを測定するゲージの伝導の問題

その委員会は、1号機の検査中に収集された結果を確認するために6回開催され、東京電力は地震に対する必要な防御基準に合致したことを確認した。しかし、査察団は1号機の検査をするため費やしたのはにたったの3日間で、世界で最も複雑なエンジニアリングの問題のひとつである原子力発電所の地震の危険性を評価するには、あまりにも簡単すぎたと業界の専門家は言う。

これらの疑惑にもかかわらず、委員会が推したのは、東京電力に1号機をさらに10年稼働させる権限を与えることだった。1号機はGE社(General Electric)により建設され1971年から操業を開始したものだ。この承認の過程で、東京電力は原子炉は60年間の操業が可能だと主張していた。

タナカミツヒコさんは、福島第一で原子炉の設計に取り組んだエンジニアだが、原子炉が古く、特に小さなsuppression chambersが古く原子炉内で圧力が上がる危険性を増加させるが、新しい原子炉ではその障害が除去されている、と話す。津波以来、福島第一の職員は原子炉内の圧力上昇を緩和しようとしており、大気中への放射性蒸気の放出を繰り返し、その結果同地域での食料や水の汚染に繋がっている。

「原子炉が交換されるべき時期だった。」タナカさんは言う。「津波が大きな被害を引き起こしている。しかしパイプ、機械、コンピュータ、原子炉全体が古く、役に立たなかった。」いくらか新しい2、3、4号機でも深刻な被害を受けている。

東京電力で老朽化した原子炉は、他の電力会社の原子炉と同様に、10年前あたりから一連の問題をかかえていたにもかかわらず。規制員は、10年の使用延長を承認した。それらを隠匿しデータを操作しようとしたこと、それが日本でも最大の公共事業体の東京電力で起きたことは原子力産業だけでの問題ではなく、規制における日本の弱さを明白にした。東京電力はこの不正行為を認めている。

東京電力の広報担当者、ツノダナオキさんは言っている。「我々は将来適切な検査を実施することを約束いたします。今回のことがなぜ起きたのかを究明し、国民の皆様にお伝えするよう努めて参ります。」

2000年には、原子炉を検査するために契約した別の会社の内部告発者が、福島第一工場で炉心を覆うステンレス製の覆いのひび割れについての規制当局と話をしている。しかし、この時も問題を調査するように指示を行っただけで、原子炉の操業継続を許可している。

実際、原子力規制当局はその覆いのひび割れについての情報を軽視していた、とサトウエイサクさんは話す。彼は原発に反対した時の福島県の知事である。彼が言うには、県自体そして原発を誘致した地方自治体すら、2002年に規制当局がその亀裂について公表するまで何もしらなかった。それは内部告発者がその亀裂報告を行ってから2年以上経ってからのことである。

2003年、福島県において2つの発電所の10の原子炉、新潟県において7つの原子炉の操業の一時停止を、規制当局は東京電力に命じている。これは、東京電力が検査記録を改ざんし、過去16年以上欠陥を隠し、修理費を押さえてきたてという情報を、内部告発者が福島県に流したためである。最も深刻な事件において、東京電力はその覆いの大きな亀裂を隠蔽したのである。

「日本の原子力発電所の安全を確保する上で、当てにならない組織というものは本来責任を負わされるべきだ。」サトウさんは話す。彼は1988年から2006年まで福島県知事であった。「この問題は東京電力に限ったことではなく、長い隠蔽の歴史を持っている。しかしシステム全体をだめにする。それが恐いんだ。」

日本の原子力産業に対する批評家たちと同様、サトウさんは、原子力安全保安院の有効性を本質的に暴露する利害の対立に対する監視機能が弱いことを挙げた。番犬として機能すべき機関は、経済産業省の下にあり、その省自体は日本の原子力産業の発展を奨励する通常の方針を持っている。

省庁や機関が順番に、東京電力やその他の機関らとのなれ合いを分かち合い、それらは実際に元省庁職員に対し有利な仕事を供給している。いわゆる「天下り」が横行しているわけである。

「彼らはみな羽毛の上の鳥だ。」とサトウさんは言う。福島県郡山市の自宅でのインタビューで語った。

日本の原子力安全機関、本来2番目の精査を行うべき場所だが、ここは十分なスタッフがおらず、大部分が諮問機関である。トヨダマサトシさんは、東京電力の前副社長で同社の原子力安全部門を率いた。彼は、組織は強化されるべきだ、と言う。アメリカは同じような機構を70年代まで持っていたが、議会が古い原子力委員会を解散し、エネルギー省と原子力規制委員会を設けた。

「米国の原子力規制委員会のように、発電所の安全性を確認すべき正規エンジニアが(日本にも)必要だ。」トヨダさんは言う。「私は政府に対して、この機構を変えるように言い続けてきたが、日本の原子力政策を変えるには長い時間がかかる。」

ニシヤマヒデヒコさん、原子力安全保安院の副局長は言う。「現在の安全性の機構には何も問題はありません。」彼が付け加えた。1号機の操業延長は「見つかったすべての問題は東京電力により修理された、という理解の上で承認されたものです。」

しかし、原子炉の寿命を延長するための承認プロセスは問題をはらんでいると、批評されている。承認される前に開示される情報量は非常に限られている。政府は、公共事業らからの提出書を目を通すだけで、これらの提出書が正しいのかどうかを判断する独自のテストを実施したりはしない、とカミサワチヒロさんは言う。彼女は、日本では最も遠慮なく意見を言う原子力の番犬である原子力資料情報センターの原子力安全調査者のひとりである。

「彼らは、(彼らができる)限界を拡大解釈している。」とカミサワさんは加えた。

この前の日曜は"First Day of Spring"でした。ほんとに春って感じです。
 昨日、おとといの雨で、空気が澄んでいるような気がします。
その前の日曜から夏時間が始まって、これからどんどん明るい時間が増えていくのがわかるんだろう。

朝ごはん

コレステロール対策でオートミールの朝食を始めたのは昨年の11月ごろ。調理時間10分で消化もいいので、だいぶ馴染んでいる。気がついたのは、自分がレーズンが好きで、今までも好きだったこと。東ハトオールレーズン、レーズンパンなど、単品というよりも穀物と一緒に食べるレーズンが好きなようだ。

トレーダージョーのレーズン、特にオーガニックのもの(写真の左側の黒い方)は特においしい。乾燥され濃縮されると、ぶどうの品質も濃縮されるんだと感じる。時々、レーズンを食べるためにオートミールを食べているような気さえする。


そろそろ、再度血液検査をやる予定。悪玉くんが減っているといいんだけど。

2011年3月20日日曜日

日本へのチェルノブイリからの教訓 〜200トンの核燃料は濡らしてはならない。穴だらけの石棺での防御〜

(オリジナル記事はこちら)
(記事内の写真)放棄されたプリピャチ、ウクライナ、チェルノブイリ周辺の汚染地域の第三中学校の崩壊の様子

(別写真はこちら)
ゴーストタウン:プリピャチはかつて約50,000人の人口を有していた。1986年4月彼らは数時間以内に避難を余儀なくされた。

記者名:エレンバリー
公開日:2011年3月19日(土) 

紙面掲載日:2011年3月20日(日)
発信地:チェルノブイリ、ウクライナ

(記事本文)
1ヶ月12回 - その医師に許される最大往復回数-Sergei A. Krasikovは列車に乗り、誰もいない土地を通り、 "石棺"と呼ばれる原子炉4番を囲む構造についてのレポートを行う。

彼の仕事の中の一つに、燃え尽きた原子炉内で収集した放射性液体を送り出すことがある。これは、いつ雨が降るといつも行われる。この石棺は25年前にパニックの中で建てられた。それは放射線が原子炉の爆発の後に、人口密集地域に流れ出た時だった。今では亀裂だらけとなっている。

原子炉内奥深くに存在するものに、水の接触は許されない。約200トンの溶融核燃料や破片、それらは一つの場所で床を介して燃焼し硬化した、ゾウの足の形になって。その固まりは放射性が非常に高く、科​​学者たちはそれに近づくことができないまま。数年前、彼らがこの近くに測定器を配置しようとしたとき、原子力産業の労働者のための1年間に制限される推奨基準値の2000倍にあたる1万レムの測定値だった。

Mr. Krasikovは、広い肩と、澄んだ青い瞳を持ち、この怪物の管理を8年間行ってきた。彼は年金をもらえるまでこの仕事を続け、他の人にこの仕事を引き継ぐ予定だ。この仕事は、今後どのくらい必要か、という質問に対し、氏は肩をすくめた。

「100年?」と彼は思い切って言った。 「たぶん、その時間内に何かが発明されるだろう」と述べた。

原子炉の死は、始まりを意味する。世界中が、日本の海岸に展開する今を見ている。しかし、それには終わりがない。

放射性元素において核燃料がすぐに崩壊していくものもある。セシウムの半減期(崩壊により半分に減るまでの期間)は30年であるストロンチウムのは29年。科学者の予測では、生活や経済活動がその地域に戻ることができるまでに10から13期の半減期がかかるとしている。それは汚染された地域は300年以上影響が残ることを意味する。ウクライナの議会でその範囲指定した地域は、15,000平方マイルと約スイス国土の大きさだった。先週、作業員が必死になって東京の140マイル北の福島第一工場で6号機原子炉を冷却しようとした。しかし、考えなければいけないのは、ウクライナのように、メルトダウンの余波に対処するのには本当に気が遠くなるような長い時間の尽力が必要になることを理解することだ。それは人類の時間枠上に存在していない問題である。

Volodymyr P. Udovychenkoは、火曜日に光沢のある紫色のシャツとネクタイに身を包みウクライナの国会議事堂に行った。彼はSlavutychの市長で、まだチェルノブイリ原子力発電所で働く3,400人の作業員のほとんどがそこで暮らしている。この1月以来、満額の給与を受け取っていない人がほとんどで、市長は360万ドルを支払うよう要求している。「指導者たちはここを見放している。彼らはチェルノブイリが存在しないと思っている。」市長は言う。「チェルノブイリは存在する。そしてその200トンもまた存在している。」

今日、チェルノブイリを訪れるのは、時間が経つのを感じるためだ。

プリピャチ(Pripyat)は、工場労働者たちの以前の居住コミュニティで、施設からは1マイルと少し、たったの数時間で5万人の避難が余儀なくされた場所だ。壁紙はその重みですべり落ち、アパートの外壁の塗料も太くらせん状にはがれ落ちている。氷が家の内装を覆っている。住宅街には、あらゆる方向にソ連時代の住宅ブロック塔がある。木々の枝に葉が擦れる音が聞こえるほど静かです。

野生の世界は徐々に戻ってきている。Anton Yukhimenkoは、デッドゾーンのツアーを案内している。彼が言うには、野生のイノシシとキツネたちが、この放棄された都市で住み始め、一度だけ狼が音も無く彼のそばをゆっくりを歩いているのに気が付いたそうだ。少し前に、市内の主要な建物のひとつであった第一学校は、25回の冬と夏の後に腐敗し、その支持構造は最終的に崩壊した。

「ここは荒野に捕われた都市です。」と彼は言った。 「私はあと20年で、ひとつの大きな森になると思います。」

4号機から18マイル以内への立ち入りは許可されていないが、カメラマンと私は、先週Chernobylinterinform、ウクライナの緊急省の一部門を訪れた。除外ゾーンへの検問には、聖母マリア像と、キノコ、魚や野生の獲物で調べられたセシウムとストロンチウムの量をリストする掲示があった。

半径6マイルからは誰も住めなくなる。焦がされたように見える木々の群生がいわゆるレッドフォレストを印し、一斉にブルドーザーされ、溝に埋もれて枯れていった松の木々が続く。我々がその施設に近づくにつれ、ガイドの放射線検出器が突然1,500マイクロレムを示した。それは通常の50倍らしく、その日は突風が吹き荒れていたからかもしれないと、ガイドらは話していた。

すべての中心にその石棺は位置し、側面は不均一でさびで縞のようになっていた。

1990年代の初めから、ウクライナ当局はその石棺の代替策に取りかかっており、やっと新安全封鎖(New Safe Confinement)と呼ばれるプロジェクトを開始し、それは次の100年間の間、300フィート(約92メートル)の鋼鉄のアーチを使って原子炉を閉じ込め、封印するものである。かかる費用はおよそ14億ドルで、大半は寄贈国により支払われることになっている。このプロジェクトはもともと2005年に終わる予定であったが、遅延や資金不足に悩まされている。

しばらくすると、冬の雪は雨に変わる。雨水は原子炉に染み入り、予想のつかない結果を引き起こすと、スイスの環境団体(Green Cross Switzerland)で働く核物理学者のStephan G. Robinsonは話す。

「冬の間、水は凍る。」Dr. Robinsonは言う。彼は先週この場所を視察した。「水は広がり、染み入る。そしておそらく内部崩壊の可能性。水蒸気は亀裂を通して蒸発する。雨が降れば、また入ってくる。そしてまた雨が降り、また蒸発する。」

しかし、新たなアーチが構築された後でも、Mr. Krasikovが疑うのは、そんなに長い期間4号機を見張ることができるかということだ。

「内側にあるものをどう取り扱うべきなのかは、誰も知らない。」Mr. Krasikovは言う。「こどもや孫の代まで、仕事があるのだろう。」

夜までに、視察先からの帰り道で、その松林を日が傾き、放射線の警告である林床に植えられた鮮やかな黄色とオレンジ色の三角形を除いては、平和な風景が続く。作業員たちは、男性サイズのガイガーカウンター(Geiger counters:放射能測定器)を通ってから家路につく。それぞれが除外ゾーンから出て使い古した高速道路へ向かうための機械が音をたてながら青に変わるのを待っている。

明日、彼らはまたチェルノブイリ原子力発電所での仕事に戻ってくる。