2011年5月26日木曜日

チェルノブイリを背景に、彼はがんを究明する

The New York Times (オリジナル原文はこちら)(記事写真はこちら)
By LISA W. FODERARO
掲載日:2011年5月24日
(ニューヨーク州 ストーニーブルック)

Yan Leyfmanさん(以下、ヤンさん又はヤン)は、チェルノブイリ事故の3年後、1989年にベラルーシで生まれた。彼の家族は、チェルノブイリ原子力発電所から約75マイル(約120km)足らずのところにに住んでいた。幼児の時、ヤンさんは不可解な症状の集まりに襲われた。嚢胞が全身を覆い、爪は剥がれ落ち、手足が腫れ上がり、そして肌の苦痛なほどのかゆみが彼の体を襲ったのだ。

彼は5歳でブルックリンに移住し、その後健康を取り戻したが、チェルノブイリの影響は尾を引いた。

医師は言っていた。彼の母親が2年前に発病したのは、おそらく原因がリンパ腫の背後に隠れているらしく、それ以来、彼の研究関心に拍車がかかっている。21歳のヤンさんは、この水曜日にロングアイランドのストーニーブルック大学を首席で卒業予定で、そこでは癌幹細胞の研究をしながら研究室で毎学期を過ごした。

彼の願いは、ただ病気を治すだけである。「私が自身で決心したことは、母を失いたくないから母を救うために自分の全力を尽くすこと。」と彼は言う。「結局、最終的に最も重要なことは、人間の生活です。」

この春、生物学の学位を修了したが、ヤンさんは時間を見つけてストーニーブルックで学生のニューヨーク州立大学の一部の研究シンポジウムの運営し、その分野の開拓者という講義シリーズを開始した。数年間、彼は12以上の会議で研究発表を行い、科学論文での協力もしている。

「私は、ヤンが一生の間に素晴らしい発見や発明をいくつもする、と信じている。」Jerrold L. Stein、ストーニーブルック大学の学生事務及び学生部副社長は言う。「彼個人をやる気にさせているのは、癌を克服できるかどうかを見極めることである。彼はがんばっている。」

大学最後まで、ヤンさんは彼の指導者で病理学部門の研究助教授であるGalina I. Botchkinaの研究室で多くの時間を費やしてきた。彼は分離して、癌幹細胞の研究を行っている。がんの広がりと薬物および放射線療法に対し、癌幹細胞は非常な耐性を担っている。そして、彼は癌幹細胞の力をいくつかの細胞から剥離させる薬を使用する実験を支援してきた。

Botchkina博士は、自身が22年前ロシアから移住し、2007年に大腸癌で母を失った。彼女によると、そのことで、大腸と前立腺がんの幹細胞に彼女が焦点をあてるようになった。彼女は言う。かつて、ヤンさんが数千の遺伝子を分析を手伝ってくれた。癌の幹細胞集団の違いをさらに理解するためであった。「それは、非常に重要で大きな作業だった。」と彼女は言う。

ヤンさんは、1年以内に医学部に進む予定だが、より多くの経験を積むために、まず別の幹細胞研究室で仕事を見つけようと考えている。

3月に日本で起きた地震と津波、それに続く原子力災害で、ヤンさんは昔の困難を思い出す。チェルノブイリからの放射線のほとんどは、実際にはウクライナに隣接するベラルーシ領土に漂い、長い間食品供給に汚染影響を及ぼした。

「私は、この人たちと繋がっているのかもしれない。」ヤンさんは言う。「私は、白い病室に横たわって痛みで泣いているのを覚えている。ロシアでは、警告は一切無かった。すべてが隠されていた。」

電話インタビューを行った。彼の母親のSima Leyfmanさんが思い出すのは、自分の息子が苦しむのをなす術も無く見ていたことと、次から次へと病院を巡り返答を求めたが無駄足に終わったことだそうだ。「息子はとても痒くて痒くて、一晩中悲鳴を上げていた。」と彼女は言う。「息子は、夜に寝て、翌朝になると彼の腕が通常の2倍に腫れ上がっていた。それは食物アレルギーだと言われた。」

やっと、ひとりの医師が告げた。この子が生き残ることを願って「できるだけ遠くへ」この子を移住させるように。「当時、販売されていた肉は、骨にごくわずかの肉がついているだけだった。」と彼女は言う。「ヤンを診た医師の一人は、遠くへ移り住み、決して戻ってくるんじゃないと言った。」

ヤンさんは、ストーニーブルックだけでなくや他の施設の教授、管理者や科学者らにも感銘を与えている。2年生のとき、彼は、一流のバリーメートルゴールドウォーター奨学金を与えられた。これは数学、科学や工学でのキャリアを計画する大学生に授与されるものである。火曜日の授賞式で、彼は、ストーニーブルック大学から学術追求卓越学長賞、ニューヨーク州立大学から優秀学生学長賞を受賞した。

彼の一心不乱さに打たれた担当者は、4月の年次シグマノースイースタンリサーチシンポジウムをストーニーブルックで開催することにした。彼は、他の学生に協力を得ながら、その会議の運営を行い、個人的に3人の基調講演者を招待した。神経科学とノーベル賞受賞者であるPaul Greengard、ジョージW.ブッシュ大統領への科学アドバイザーであった、John H. Marburger III、およびコールドスプリングハーバー研究室のGrigori Enikolopovの3名である

「会議を理解し、それを実行できる人はほとんどいない。彼はそれを完璧にやった。」とスタイン博士は言う。「ヤンに頼まれると、断れないんだ。それは、彼の粘り強さでもあり、魅力でもある。」

(終)

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