The New York Times (オリジナル原文はこちら)
By HIROKO TABUCHI
発信地:東京
紙面掲載日:2011年6月12日
紙面掲載日:2011年6月12日
ドラムを叩き、花を振りながら、この土曜日に、東京と他の主要都市で、原子力利用に対する抗議者たちが結集した。破壊的な津波が原子力災害を引き起こしてから3ヶ月後のことだ。
福島県原子力発電所事故の政府の対応に対する怒りは、原発の被害や放射性物質の放出が、以前に考えられていたよりもはるかに悪化したことが発覚したこの数週間で、噴出している。子供の健康を心配する母親は、破壊された生活に対する怒る農民や漁民と同様に、菅首相の政府を特に批判視している。
この災害で、日本が歴史的に破壊的な地震や原子力への深い不信を持つ国にもかかわらず、原子力発電への大きく依存する現在の日本についての国民的な議論が高まっている。おそらく彼の動きの中で、唯一大衆の支持を獲得したのは、菅首相が、津波の防御を強化できるようになるまで、日本の中央部に位置する別の原子力発電所(浜岡)の停止を命じたことだ。しかし、最近の政治活動は、行き詰まる国会において、国民の幻滅は募るばかりである。
「我々は今、現在の原子力発電への依存の危険性を知り、変革を行う時だ。」マツモトハジメさんは話す。彼は、今回の集会の主催者の一人で、主催者によると、東京の中心部(新宿)の広場へ集まった人数は最終的に約20,000人にも昇った。
「そして、私は日本が変革できると信じている。」彼は叫ぶ。群衆は大声を上げ、人々はこぶしを振り上げた。
ここ東京そして、他の多くの都市で開催されたイベント集会支持者たちは、このデモが注目すべきなのは、その規模ではなく、とても従順と秩序を大切にするこの日本ですべてが起こったからだと言う。
「日本人は、少なくとも最近は、このような大きなデモを行っていない。」サトウジュンイチさんは話す。彼は環境保護団体グリーンピースジャパンのプログラムディレクターで、彼が主催してきた集会は本当に人数の少ないものであったと、話す。「彼らは自分たち自身に聞こえるように、第一歩を踏み出した。」
群衆は、初めてデモに参加する人がほとんどだった。
「私は子供のためにここにいる。」イシイアキさんは言う。3歳の娘を連れていた。「我々の昔の生活を取り戻したい。ただ、水が安全で、空気がきれいな生活を。」彼女の娘が身につけていた掲示には、「もう一度、外で遊ばせて下さい。」と書かれていた。
フジモトヒロマサさんは、米や野菜の農家で、彼も初めて抗議運動に参加したと話す。「私は、土壌や水が心配だという人々に、ただ伝えたい。」と彼は言う。「私は今、片手にガイガーカウンターを持ち、片手に農具を持って作業をしている。」
「これはばかげている。」彼は言う。
集会は、概して整然と始まった。 「すべてのマナーを守りましょう。」と 主催者はデモ隊が整然と列に並んだ開始時に言った。ただ群衆は、結果的には乱暴な振る舞いとなった。
デモ隊は都内でいくつかのデモ行進を行った後、ある広場(新宿)に集まった時に、警察とのの対立がいくつかあった。名前を言うのを拒否した警官は、デモ隊が広場に集まるための許可が与えられていなかったことを、かたずをのんで説明した。
「すぐに集会を分散させる。」警察官が拡声器を介して叫ぶ。
「黙れ。消え失せろ。」若い男が叫び返す。
しかしながら、午後9時ごろ、警察官は強制的に群衆を解散させようと、介入した。小競り合いは見られたが、深刻な物はなかった。
それでも、主催者のマツモトサンは大喜びでだった。「誰が、こんなに多くの人々が参加すると考えただろう。」彼は言う。「日本は、何か新しいことが始まると思う。」
しかし、通行人たちは関心が低い人も少なくない。
「彼らに、何が本当にできるの。」イシイアイリさんは言う。21歳の店員で、ボーイフレンドと一緒に集会を見ようと立ち止まっていた。「おもしろそう。でも、これで何かが変わると思うなら、単純だわ。」
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