2011年3月20日日曜日

日本へのチェルノブイリからの教訓 〜200トンの核燃料は濡らしてはならない。穴だらけの石棺での防御〜

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(記事内の写真)放棄されたプリピャチ、ウクライナ、チェルノブイリ周辺の汚染地域の第三中学校の崩壊の様子

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ゴーストタウン:プリピャチはかつて約50,000人の人口を有していた。1986年4月彼らは数時間以内に避難を余儀なくされた。

記者名:エレンバリー
公開日:2011年3月19日(土) 

紙面掲載日:2011年3月20日(日)
発信地:チェルノブイリ、ウクライナ

(記事本文)
1ヶ月12回 - その医師に許される最大往復回数-Sergei A. Krasikovは列車に乗り、誰もいない土地を通り、 "石棺"と呼ばれる原子炉4番を囲む構造についてのレポートを行う。

彼の仕事の中の一つに、燃え尽きた原子炉内で収集した放射性液体を送り出すことがある。これは、いつ雨が降るといつも行われる。この石棺は25年前にパニックの中で建てられた。それは放射線が原子炉の爆発の後に、人口密集地域に流れ出た時だった。今では亀裂だらけとなっている。

原子炉内奥深くに存在するものに、水の接触は許されない。約200トンの溶融核燃料や破片、それらは一つの場所で床を介して燃焼し硬化した、ゾウの足の形になって。その固まりは放射性が非常に高く、科​​学者たちはそれに近づくことができないまま。数年前、彼らがこの近くに測定器を配置しようとしたとき、原子力産業の労働者のための1年間に制限される推奨基準値の2000倍にあたる1万レムの測定値だった。

Mr. Krasikovは、広い肩と、澄んだ青い瞳を持ち、この怪物の管理を8年間行ってきた。彼は年金をもらえるまでこの仕事を続け、他の人にこの仕事を引き継ぐ予定だ。この仕事は、今後どのくらい必要か、という質問に対し、氏は肩をすくめた。

「100年?」と彼は思い切って言った。 「たぶん、その時間内に何かが発明されるだろう」と述べた。

原子炉の死は、始まりを意味する。世界中が、日本の海岸に展開する今を見ている。しかし、それには終わりがない。

放射性元素において核燃料がすぐに崩壊していくものもある。セシウムの半減期(崩壊により半分に減るまでの期間)は30年であるストロンチウムのは29年。科学者の予測では、生活や経済活動がその地域に戻ることができるまでに10から13期の半減期がかかるとしている。それは汚染された地域は300年以上影響が残ることを意味する。ウクライナの議会でその範囲指定した地域は、15,000平方マイルと約スイス国土の大きさだった。先週、作業員が必死になって東京の140マイル北の福島第一工場で6号機原子炉を冷却しようとした。しかし、考えなければいけないのは、ウクライナのように、メルトダウンの余波に対処するのには本当に気が遠くなるような長い時間の尽力が必要になることを理解することだ。それは人類の時間枠上に存在していない問題である。

Volodymyr P. Udovychenkoは、火曜日に光沢のある紫色のシャツとネクタイに身を包みウクライナの国会議事堂に行った。彼はSlavutychの市長で、まだチェルノブイリ原子力発電所で働く3,400人の作業員のほとんどがそこで暮らしている。この1月以来、満額の給与を受け取っていない人がほとんどで、市長は360万ドルを支払うよう要求している。「指導者たちはここを見放している。彼らはチェルノブイリが存在しないと思っている。」市長は言う。「チェルノブイリは存在する。そしてその200トンもまた存在している。」

今日、チェルノブイリを訪れるのは、時間が経つのを感じるためだ。

プリピャチ(Pripyat)は、工場労働者たちの以前の居住コミュニティで、施設からは1マイルと少し、たったの数時間で5万人の避難が余儀なくされた場所だ。壁紙はその重みですべり落ち、アパートの外壁の塗料も太くらせん状にはがれ落ちている。氷が家の内装を覆っている。住宅街には、あらゆる方向にソ連時代の住宅ブロック塔がある。木々の枝に葉が擦れる音が聞こえるほど静かです。

野生の世界は徐々に戻ってきている。Anton Yukhimenkoは、デッドゾーンのツアーを案内している。彼が言うには、野生のイノシシとキツネたちが、この放棄された都市で住み始め、一度だけ狼が音も無く彼のそばをゆっくりを歩いているのに気が付いたそうだ。少し前に、市内の主要な建物のひとつであった第一学校は、25回の冬と夏の後に腐敗し、その支持構造は最終的に崩壊した。

「ここは荒野に捕われた都市です。」と彼は言った。 「私はあと20年で、ひとつの大きな森になると思います。」

4号機から18マイル以内への立ち入りは許可されていないが、カメラマンと私は、先週Chernobylinterinform、ウクライナの緊急省の一部門を訪れた。除外ゾーンへの検問には、聖母マリア像と、キノコ、魚や野生の獲物で調べられたセシウムとストロンチウムの量をリストする掲示があった。

半径6マイルからは誰も住めなくなる。焦がされたように見える木々の群生がいわゆるレッドフォレストを印し、一斉にブルドーザーされ、溝に埋もれて枯れていった松の木々が続く。我々がその施設に近づくにつれ、ガイドの放射線検出器が突然1,500マイクロレムを示した。それは通常の50倍らしく、その日は突風が吹き荒れていたからかもしれないと、ガイドらは話していた。

すべての中心にその石棺は位置し、側面は不均一でさびで縞のようになっていた。

1990年代の初めから、ウクライナ当局はその石棺の代替策に取りかかっており、やっと新安全封鎖(New Safe Confinement)と呼ばれるプロジェクトを開始し、それは次の100年間の間、300フィート(約92メートル)の鋼鉄のアーチを使って原子炉を閉じ込め、封印するものである。かかる費用はおよそ14億ドルで、大半は寄贈国により支払われることになっている。このプロジェクトはもともと2005年に終わる予定であったが、遅延や資金不足に悩まされている。

しばらくすると、冬の雪は雨に変わる。雨水は原子炉に染み入り、予想のつかない結果を引き起こすと、スイスの環境団体(Green Cross Switzerland)で働く核物理学者のStephan G. Robinsonは話す。

「冬の間、水は凍る。」Dr. Robinsonは言う。彼は先週この場所を視察した。「水は広がり、染み入る。そしておそらく内部崩壊の可能性。水蒸気は亀裂を通して蒸発する。雨が降れば、また入ってくる。そしてまた雨が降り、また蒸発する。」

しかし、新たなアーチが構築された後でも、Mr. Krasikovが疑うのは、そんなに長い期間4号機を見張ることができるかということだ。

「内側にあるものをどう取り扱うべきなのかは、誰も知らない。」Mr. Krasikovは言う。「こどもや孫の代まで、仕事があるのだろう。」

夜までに、視察先からの帰り道で、その松林を日が傾き、放射線の警告である林床に植えられた鮮やかな黄色とオレンジ色の三角形を除いては、平和な風景が続く。作業員たちは、男性サイズのガイガーカウンター(Geiger counters:放射能測定器)を通ってから家路につく。それぞれが除外ゾーンから出て使い古した高速道路へ向かうための機械が音をたてながら青に変わるのを待っている。

明日、彼らはまたチェルノブイリ原子力発電所での仕事に戻ってくる。

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