The New York Times (英語原文はこちら)
By HIROKO TABUCHI
2011年7月10日
発信地:気仙沼、日本
先週、奇妙なものを装着した車が、津波で被災した港湾市街地のがれきの中を通っていた。屋根の上には、被害状況を記録するため、災害地域の360度パノラマのデジタル画像を作成する、9台のカメラが組み立てられいた。
これは、グーグル技術を生かす最新方法のひとつである。グーグルは、世界的なウェブサイト検索王であるが、日本ではオンライン市場においてまだ2番手のまま、その日本で、この最新技術は、ブランドとソーシャルネットワーキングの認知度を高めるためのものである。
グーグルは、災害の初期の段階で、迅速に、地震と津波によって影響を受けた友人や親戚の状況が、人々にわかるように、人探しのサイトを立ち上げた。
批評家らは、震災以来のグーグルの取り組みが、検索エンジンやオンライン広告のシェア拡大に、反映されているかどうかを判断するのは時期尚早であると言う。しかし、米国に次ぐ、世界第2位のオンライン広告市場を持つ国で、かつては会社がプライバシーの問題を提起する重大な失策もあったが、日本でのトップであるヤフーの地位を奪おうとしながら、ついに、グーグルは新しい信頼を勝ち取っている。
「私たちは、グーグルの人々に何も心配はないと思っている。」スガワラシゲル氏、津波によって破壊された東北地方の気仙沼市長は言う。
「私は、彼らに今の気仙沼の街を記録に残してほしい。」スガワラ氏は言う。「そして、彼らに戻ってきてほしい。街が新しく生まれ変わってから、世界に新しい気仙沼を披露してほしい。」
改心者がもうひとり、コバヤシサチコさん。彼女は、仙台に住んでいる。津波被害の中心となった都市である。彼女は、友達を探しに気仙沼市を訪れた。友達は、琴の仲間の学生である。琴は日本の伝統楽器である。コバヤシさんは、別のWebサイト上で人探しを投稿すると、見知らぬ人に、グーグルの人探しサイトを教えられた。そして、彼女は、その友人が無事であることを知った。
「ありがとう!」コバヤシさんはお礼を投稿した。「また、一緒に練習できることを心待ちにしています。」
3月11日、日本の北東沖を襲ったマグニチュード9.0の地震は、26階にある日本のグーグル東京オフィスをも襲っている。エンジニアらは、通常のプロジェクトを中断、数分以内に、従業員は小グループに分かれ、様々な災害関連サービスに取り組み始めた。これらは、日本で初めて行われた災害関連サービスである。
人探しサイトは、もともと2010年1月に起きたハイチでの地震の際に開発されたものである。日本では、地震発生から2時間以内に、グーグルがオンラインの人探しサービスの稼動を開始した。
「誰もが自分のノートパソコンで、何ができるかというアイデアを考え始めた。」ブラッドエリスさん、初期対応に取り組んだ東京チームのアメリカ人メンバーは言う。
あるエンジニアは、人探しサイトを従来の日本の携帯電話と互換性を持たせるアイデアを提起した。もう一つは、グーグルマップで、交通や道路の損傷に関するデータだけでなく、電車の運休状況や遅延といった情報を視覚的に表示することを提案した。これらのアイデアは、すべて実用化された。
人探しサイトでは、行方不明者に関する情報を持つ利用者は、他の利用者が検索できるデータを作成することができる。逆に、行方不明者を探している人は、その人の情報を持っている誰かがそれを見て、その人に関する追加情報が投稿されることを期待してデータを作成することができる。
どれだけ人々が、人探しサイト上で大切な人に関する情報を見つけてきたのかを単に測定することは、難しい。ただ、明らかな欠点としては、数百の避難所にはインターネットへのアクセスがなく、被害者らは自分の居場所をウェブサイト上に入力する手段がなかったことが挙げられる。
その代りに、行方不明者に関する情報のほとんどは、避難所での手書きのポスターとなっていた。そこで、グーグルは、利用者に対して、ポスターの写真を撮りピカサのオンライン写真共有サービス上にアップロードするように依頼し始めた。グーグルは、それらの写真の名前を人探しサイトに転写する作業のため、約100名の営業チームを設置した。
すぐに、約1,000枚にものぼる名前の写真がピカサにアップロードされ、グーグル社員の作業は追いつかなかった。そして、グーグルは予想していなかったのだが、匿名利用者らによる写真の名前を人探しサイトへの転写が、ピカサのインタラクティブ機能を利用して、自発的に始まったのである。津波後の数週間で、10,000枚を超える写真は、約5,000名の匿名のボランティアによって転写され、人探しサイトに14万人以上のデータが追加された。
グーグルはまた、地方自治体やその他の組織に対して、行方不明者の情報を彼らのデータと共有させることを促した。日本におけるグーグルの知名度が低水準だったので、ムライセツト氏、彼はグーグル社員であり会社のパートナーシップを担当するが、地元当局者にアプローチするには、このような事例の基礎からスタートしなければならなかった。
「私は、グーグルというインターネット会社から参りました。」なんでインターネット会社が?と困惑する職員への挨拶から始まった。「あなたがたに協力させて下さい。」
職員は、いったい何を期待をすればいいのかよくわからなかった。日本の政府機関は、いつも、プライバシー問題を懸念し、そしてご存知の通り対応が遅い。しかし、この時ばかりは反応が迅速だった。津波の被害を受けたすべての都道府県では、そのリストを共有することに合意した。
ひとつずつ、人と組織が情報を供給し合った。公共放送機関、NHK、主要新聞社、さらには通常は世間とはかけ離れた警察庁まで。
全体として、人探しサイトは616,300件の記録を収集し、災害による行方不明者の日本最大級のデータベースとなっている。これは、グーグルがハイチで回収した55,000件をはるかに上回る。
「誰もが災害の恐ろしさを感じていた。」ムライさんは言う。
グーグルにとって、これらの努力は、日本での評判を向上させるために役立っている。
グーグルは、日本での設立以来10年以上が経ち、オンラインサービス、モバイル技術、そして広告の巨大な市場に引き寄せられた。日本におけるインターネット広告市場は、2010年に、774億7千万円(約96億ドル)に達した。この数字は、広告代理店、電通によるものである。日本は、インターネット対応の3G携帯電話において、99万人の利用者を持ち、これもまた米国に次ぐ数字である、
しかし、日本は、グーグルの受け入れについて乗り気ではなかった。12月末時点で、ヤフー・ジャパン、これは日本の通信業界最大手ソフトバンクが運営するが、すべての検索ページビューの50.4%を占めた。comScore Media Metrixの数字によるものである。グーグルは39.6パーセントで、2番手となった。
グーグルは、最初に、文化的な失策をしたのである。グーグルマップのストリートビュー機能は、グーグルマップのウェブサイトにパノラマ写真を追加したものだが、プライバシー意識の高い日本人には気に食わず、グーグルは控えめなカメラを使ってそのイメージデータを撮り直すことを余儀なくされた。
グーグルは、昨年、日本での技術的な勝利を獲得した。ヤフー・ジャパンが、グーグルの検索技術に切り替えることを決めたのだ。米国ヤフーは、ヤフージャパンの約3分の1を所有しているが、マイクロソフトのBingの技術を使用し始めると発表している。しかし、アナリストらは、日本におけるグーグルの足場は、まだ不安定なままだと言う。日本では検索において最も強力なネームバリューを持つヤフージャパンが、簡単に技術の切り替え先を、再度、変更する可能性があるためである。
3月の災害は、グーグルにとっては、前向きな光の中でその技術を発揮するチャンスを与えられた、とグーグル幹部は言う。
カワイケイ氏、グーグル本社(カリフォルニア州マウンテンビュー)のシニアプロダクトマネージャーは、その3月の金曜日、自宅でくつろいでいるところに、巨大な地震が、彼の実家である仙台を襲ったことを知った。
必死になって、彼はニュースのウェブサイトとツイッターを飛び回り、津波がどの程度到達したのかを調べようとした。しかし、彼の両親が住む場所のリアルタイムの情報を探し出すことは、ほとんど不可能だったと、彼は言った。
そこで、彼は、更新された衛星写真を提供し、人々に津波の経路と到達範囲を追跡できるようにするプロジェクトに身を投じた。写真の品質と細かさを向上するために、グーグルは、後になって、低高度空中撮影を依頼した。これは、オンラインで公開されている。
「私は、自分自身で、グーグルで何ができるかを考えた。」カワイ氏は言う。「我々は、さまざまな方法で情報を利用可能にできるし、パーソナライズできる情報を作れるし、そしてあなた自身を作ることができる。」
今、カワイ氏は、新しいプロジェクトを率いている。津波の被災地域の360度のパノラマ写真を、定期的に記録に残すものである。このプロジェクトには、グーグルのストリートビューの技術が生かされている。
このプロジェクトは、先週、カメラを積んだ車が気仙沼の街を往復していたもので、被害状況貴重な記録と今回の災害地域を記録提供すること、そして再建の進行状況を記録することを目指している。海岸沿いの町や市は、この尽力に対しすでに承認を出している。以前のストリートビューとグーグルの問題にもかかわらず。
ハヤシノブユキ氏、彼は長年、情報技術のコンサルタントでジャーナリストであるが、グーグルは今回、そのよそ者のイメージを払拭できるかもしれないと言う。
「普通の日本人たちが、突然、グーグル検索を使い始めようとするかどうかは、私にはわからない。ただ、グーグルのサービスには、災害地域の人々のためのライフラインになりつつあるものがある。」ハヤシ氏は言う。「もし、これらのサービスが、地域の復興に貢献することができれば、グーグルの日本での存在価値は強化される。」
災害後数日してから、カワイ氏はやっと両親の安否が確認できた。仙台の家は、かろうじて津波から生き延びた。
彼の両親は、結局、近隣の山形県に車で避難することとなった。なじみのない山道を通りながら。グーグルマップを使って、無事に辿り着いたそうである。(終)
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