The New York Times (英語原文はこちら)
By JERÉ LONGMAN
2011年7月18日
発信地:フランクフルト
先日の女子ワールドカップでは、今まで、女子サッカーをどれだけ魅力的に引き立ててきたか、そして今後、女子サッカーがまだどれだけ続けてゆかなければならないかを、まじめに思い知らされた。
日本の勝利で、被害にあった日本国民と、日本チームのリズミカルなパスと巧みな動きを受け入れるようになったサッカー界は、励まされた。フランスでも、サッカーというスポーツを、エレガントでスタイリッシュなものに押し上げた。
「日本チームのプレーに対して、言われていることに、」とピア・サンデイジ氏、アメリカチーム監督は語った。「日本チームは、ボールと戯れている。それは、女子サッカーの将来にとって良いことだ。」
アメリカチームは、日曜日の決勝において、優勝の機会を逃したことや、ペナルティーキック時に珍しく感じた不安を感じたことを、きっと嘆くであろう。しかし、日本のペナルティーキックの勝利で、女子サッカーもグローバル化が進み、そして競争力を持ち、もはや、米国、ドイツ、スカンジナビア諸国の、世界の一部の国だけに支配されている時代ではないことが証明された。
コロンビアは、このワールドカップで初めて出場した。そう、ギニアもそうだった。フランスは、初めての準決勝進出、日本も、初めてのチャンピオンであった。大差だった試合でも、4-0で、2007年にドイツがアルゼンチンに大勝した11-0よりもはるかに僅差であった。
チケットの80%が売れた。観衆は、理解があり、行儀がよかった。忠実なゴールキーパーが多く、ゴールシーンは感動を呼んだ。引きつけられる競り合いとしては、ドイツに対する日本の見事な準々決勝での勝利や、ブラジルに対するアメリカの興奮する巻き返しには、誰もかなわないだろう。
12年前、女子ワールドカップ決勝で、アメリカが中国に対し、ペナルティーキックで感動的な勝利をおさめた時は、スポーツとしての大きな革命だと考えられた。それは、タイトルナインとして知られる性平等の法律によって約束されるように、参加すべき絶好の機会が与えられることによって、実現性のブラジャーむき出し姿スポーツのお祝いであり、女性が到達可能なレベルの確認であった。
先駆者であることの負担や責任から解放され、現在のアメリカの選手たちは、純粋にプレーすることができ、今までの彼らが正しく評価されるようになった。速度、勇気、深さ、そして勝利が断固とした粘り強さで奮い起こされるという不動の信念にへこたれない、素晴らしい選手たちである。
「1999年、女子サッカーやスポーツにまつわるすべての少女と女性にとって重要であることに明らかな自覚があった。」ブラン・チャステインは、言う。その年のワールドカップ決勝で、勝利のペナルティキックを決め、そのトーナメントでジャージを振るのお祝いを率いた人である。「今考えると、このチームがもっぱら主流と見られている。まだこういった感じである。『彼らが美しいだとか、すばらしい』もう、それはいい。しかし、以前に比べたら、実際のサッカー自体についてのより詳細なコメントを耳にするようになった。これは、大きな進化である」
また、ジュリー・ファウディは言う。かつてのアメリカのキャプテンである。「今、それは『ああ、女性がこんな機会を持ち得ていることは素晴らしい。このゲームがこんなに広まっているのを見てください。』」
今回は、まだ6度目の女子ワールドカップの開催であった。女子の大会は、1991年に始まった。最初の男子のワールドカップ開催からの60年後である。ほんの7年前、ゼップ・ブラッター、FIFAの会長は、女性がタイトなショートパンツを身に着けることによってゲームの魅力を向上させるかもしれない、と言った。やるべきことは、まだたくさんある。
Eucharia Uche、ナイジェリアのコーチは、同性愛嫌悪発言で彼女のチームを台無しした。彼女は、同性愛を、「汚い問題」とか「精神的、道徳的に非常に間違っている」と呼び、レズビアンのように振る舞うグループを取り除こうとした。これは差別に関するFIFAのルールに明らかに違反していたが、FIFA自身の取り締まりを非難されるように、FIFAからは、何の言葉もなかった。
ドイツとフランスの選手たちは、ワールドカップのために注意を引くために、必死の試みでヌードを持ち出した。BBCは、フランスと対戦するイギリスの準々決勝を放送するように圧力を受けなければならなかった。試合は、英国で180万の視聴者を集めたが、現代的なサッカーが発明されたこの国ですら、女性の試合は大きく無視されたままであった。
「正直に言うと、私の仕事の同僚や友人は、私が女子ワールドカップを担当しなければならないことに残念がっていた。」イアンダーク、ESPNの英国の解説者は言う。「まるで、処罰のようだった。私、何か悪いことでもした?」
少なくともイギリスは、ワールドカップに出場した。1999年に決勝に進出した中国は、今年、姿を見せなかった。ファウディは、中国出身の昔のチームメイトと話し、中国では、親たちが子供たちの教育レベルが下がるのを恐れて、スポーツ教室に自分の娘を行かせることに消極的になっていると言われたと、話している。
中国は、経済的に繁栄するにつれて、ファウディは、「親たちは、自分の子どもを落ちこぼれにしたくない」と言う。
ブラジルは、ウォームアップ試合を少しこなしたが、特に鋭敏な感じはしなかった。ブラジルのサッカー連盟は、女性のゲームを十分に擁護したことはない。これは、男子サッカーが力を持つ国において、女性が直面する長い困難な道のりを反映している、とアンドレイ・マーコビッツは言った。彼は、ミシガン州の教授で、「オフサイド:サッカーとアメリカの例外論」の共著者である。
ドイツを除き、ラテンアメリカやヨーロッパでは、支配的な男性のサッカーの文化における女性は、非常に困難である。男性は、女性を自分の勢力範囲として見ておらず、受け入れず、常に見下し、達成者とは考えない。」マーコビッツさんは言う。
「彼らは、女性を、純然たる侵入者だと見ている。」彼は言う。
このワールドカップで、アメリカは多様性の面で、一歩後退した。アメリカの選手は、すべて白人だった。一方、イングランド、フランスとドイツは多文化の布陣を敷き、メキシコは、メキシコ系アメリカ人の選手を取り上げた。おそらくこれは、多くのコーチが言う、アメリカ女子のゲームを左右する青少年育成の停滞を象徴している。
「指示はまったく無かった。」トニー・ディシコ氏、1999年ワールドカップのタイトルを取った時のアメリカのコーチは言った。「そのせいで、我々は、人気を失った。」
上級レベルでは、米国は、今、運動能力に技術的な精巧さを加え、世界最高レベルに君臨しなければならないという難攻不落の真実に直面している。
「その通りだ。」アメリカチームコーチ、サンデイジ氏は言った。
「日本とフランスを見てください。」
(終)
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