2011年7月31日日曜日

チェルノブイリの消えない傷跡

The New York Times英語原文はこちら
July 11, 2011
By JOE NOCERA

奇妙なことに、史上最悪の原子力事故の25周年は、動物についてのジャーナリズムによって現れた。2つの雑誌、ワイヤードとハーパーは、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所周辺のいわゆる退去ゾーンにおける、動物の生命の再起についての長い記事を出版している。

すべてが順調なようだが、最近の日本の原子力事故により、あなたはむしろ、チェルノブイリの影響を受けた人々に何が起こっているか知っているだろうか?

私は、こんな人を知っている。彼女の名前は、マリアGawronska30歳、スマートで魅力的な、マリアは2004年にニューヨークに移住したポーランド人である。私は、おそらく4年前、私の婚約者を通して彼女に会った。彼女は、いつも、タートルネックを着ていた。たとえそれが、真夏の暑い日であったとしても。

マリアの故郷、ポーランド北部のオルシュティンは、チェルノブイリから400マイル(640km)以上離れている。チェルノブイリ原子炉がメルトダウンを起こした19864月、彼女は5歳だった。膨大な量の放射能が吐き出され、ウクライナ、ベラルーシ、そしてポーランド北部にもまたがり拡散した。

「最初は」と、マリアは言う。「爆発が起きたが、危険ではない、と言われていた。」しかし、数日たって、ソ連はしぶしぶ事故を認めた。マリアは、皆がヨウ素の錠剤を与えられ、そして室内に留まるように指示されたのを思い出す。彼女は、次の2週間、家の中に滞在した。

彼女は、ポーランド人が事故の健康影響について知るまでにに数年かかると、耳の早い人たちが話しているのも覚えている。とりわけ、放射線は甲状腺に大きな障害を与えるので、ヨウ素の錠剤を摂取させた。甲状腺が吸収する放射性ヨウ素の量を最小限に抑えるためであった。

案の定、25年に渡り、オルシュティンでは甲状腺の問題が爆発した。病院全体が甲状腺の病気にかかりっきりになっていたと、マリアは言った。全く誇張ではない。アルトゥール・ザレウスキ博士、オルシュティンの甲状腺外科医は、1990年代初頭以来、彼の業務で甲状腺手術が大幅に増加していたことを確認した。一部の人々は甲状腺癌にかかっているが、多くは、甲状腺肥大、または正常に機能しなくなった甲状腺の病気にかかっている。

しかし、アルトゥール・ザレウスキ博士は、甲状腺疾患がチェルノブイリにつながる科学的証拠がないことも、私に助言した。ソ連の非協力も一因であり、そしてランセットが「相当な難題」として記述することも一因で、ポーランドの甲状腺の問題にチェルノブイリ災害がかかわっている可能性を示すかもしれないため、疫学的研究が始められたことはなかった。

行われてきた研究は、がんに焦点を当てていた。ランセットによれば、ベラルーシとウクライナでの小児白血病および乳癌の増加は、チェルノブイリ事故による可能性がある。しかし、「欠陥研究の着想」であり、これらの研究は決定的ではない。

しかし、私が、マリアの母、バーバラGawronska コザックさんにeメールを送った時には、彼女は頑固に「私は、チェルノブイリ事故が甲状腺の問題の増加させたと、確信している。」と言った。バーバラさん自身も、科学者(ただし、疫学者)であり、「ポーランドの平均的市民」たちもそう信じていたと、私に言った。彼女自身、事故の10年後、甲状腺手術が必要となった。マリアの母は、2回、甲状腺手術を受けた。彼女の親友は、1度、甲状腺手術を受けた。高校時代の古い友人は、最近、甲状腺腫を摘出した。マリアは、家族のうち、彼女の父親だけが、甲状腺に傷害がなかったと、私に言った。

そして、約5年前、マリアの番だった。彼女の甲状腺が徐々に拡大するにつれ、彼女の気管を圧迫するようになり、特定の場所で息をすることが難しくなった。もちろん、その拡大が見苦しいのが、彼女がいつもタートルネックを着ていた理由だった。ニューヨークの専門医は、そのような症状は見たことがなく、治療する手術は高リスクで彼女の声帯を損傷する恐れがあると、彼女に告げた。そのため、マリアはポーランドに戻り、彼女の故郷で手術を受けることにした。今年の初め、彼女はその手術を受けた。

チェルノブイリ事故のように、我々が、福島第一原子力発電所事故の影響で、その近くに住んでいた人々の健康にどのように影響するかを知るまでには、長い年月がかかることになる。はるかに少ない放射線放出ではあるが、それは水の中に漏れ、形跡は食糧供給において発見されている。そのため、我々は、原子力発電にどう対処するかを考える。原子力発電は、クリーンエネルギーに対するじらすような期待を抱かせながらも、常に、一旦間違いが起こると大災害となる危険性をはらんでいる。単純な問題ではない。 福島第一のような事故があるたびに、我々は思い知らされる。チェルノブイリもそうである。

マリアは、と言えば、少なくともこの話はハッピーエンドである。ザレウスキ博士、彼が彼女の手術を行ったが、その甲状腺の大きさを見たときには尻込みはしなかった。手術は、成功だった。彼女の声帯は、正常のままである。彼女は以前よりも元気になっている。

マリアは、彼女がオルシュティンにいる間、古い友人を探したと、私に言った。彼女がオルシュティンに戻ってきた理由を聞いたとたんに、「みんなが笑って、自分の傷跡を指差し合った。」と彼女は言った。

彼女がニューヨークに戻ってから間もなく、私が彼女に会ったとき、彼女の小さな傷に気づかずにはいられなかった。彼女は、タートルネックを着ていなかったのである。(終)

(モニカ・アロンソン:翻訳とレポート作成の支援)

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