The New York Times (オリジナル原文はこちら)
By NORIMITSU ONISHI and MARTIN FACKLER
発信地:東京
紙面掲載日:2011年6月12日
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不信と混乱
菅首相の批評家や支持者は同様に、東京電力に対する彼の不信は、十分な根拠があると言う。3月11日の災害の後、まだ日も浅い頃、東京電力は、首相官邸とは限られた情報だけを共有し、原発での危険性をもみ消そうとした、と彼らは言った。
東京電力は、この記事に関して上級幹部に対する取材を断った。東京電力幹部のマツモト氏は、同社はできるだけの情報を供給したと、記者会見で語った。彼は、東京電力を信用できないと言っている、菅首相についてのコメントを避けた。
菅政府は、東京電力にとって極めて重要な最初の3日間の原発危機の処理に関して、本質的にはまだ手を付けず、その代わりに家を失った数千数百人の救援活動に焦点を当てている、とテラダ氏や他の側近は語った。そして3月14日、原発の状況の重大さが、2度目の爆発で露見し、今回は3号機原子炉で現れ、そしてその夜の東京電力の清水社長からの「状況が余りにも危険で原発に残れないので工場から作業員を撤退することを許可してほしい。」という驚くような要求内容によって明らかになった。
菅首相はこれを聞き、激怒していたと、側近や顧問らは言った。原発を見捨てるということは、津波に襲われた4つの原子炉の制御を失うことを意味する。そして次の日、残りの2つの稼働中の原子炉、2号機と4号機で爆発が発生した。
「冗談じゃない。」側近によると、首相はそう叫んだそうだ。
彼らは、菅首相は3月15日の朝早くに緊急会議を招集し、原子炉を守るためにさらに何ができるかを顧問らに尋ねた。そして首相は、彼が2時間以内に東京電力を訪問する計画しているという警告を、かろうじて与えた。
午前5時半、菅首相は、東京電力の本社に入ってゆき、東京電力を監視するために、彼の最も信頼できる側近のひとり、ホソノゴウシ氏を張り付かせた。
菅首相は、5分間、即興の激励を与えた、と彼の補佐官テラダ氏は言った。
「発電所から撤退するとは、問題外である。」首相は彼らに伝えた。
顧問は、ホソノ氏の東京電力への配置は転機となり、原発での被害対策の努力を直接に指揮する首相を支援する体制となった。「初めて、私たちは、東京電力が議論していることを知り、彼らが何を知っていたのかを知った。」匿名を希望するある顧問は言う。
しかし、菅首相の支持者は、この動きが遅すぎたことを認めている。
「我々は、もっと速く動くべきだった。」アリトミマサノリ氏、東京工業大学の原子力技術者で首相顧問は言う。アリトミ氏は、東京電力の内部に駐留する細野氏が居ながらも、東京電力はまだ5月中旬まで、重要な情報を開示しなかったと言う。それは、最終確認を含めて、4つの稼働中の原子炉のうち3つがメルトダウンしていたことである。
(続く)
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