2011年6月18日土曜日

原発危機の最中、深刻な不信問題 (その2)

By NORIMITSU ONISHI and MARTIN FACKLER  
発信地:東京
紙面掲載日:2011612

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経験不足

もし菅首相が日本の既存の危機管理システムを使用していたら、より速く、より決断的に事を運べたのではないか。と言う支持者すらいる。

そのシステムは、1986年に作成され、その後の首相らのさらに強い力を求めた日本の指導者らによって強化された。ホワイトハウスでの危機管理をモデルにし、首相官邸の下にシチュエーションルームを設置までした。このシステムが首相の直接指揮下に様々な省庁から官僚を結集した。ササアツユキ氏、1980年代後半の内閣安全保障室長は言う。

批評家とサポーターらは同様に、このシステムをバイパスする菅首相の決定は、この大きな規模の危機を処理がほとんど経験のない、首相が信頼する助言者の小さなサークルに頼ることになり、より早く災害の重症度を把握することができなかった、と言う。顧問らは、さらにすべての情報源が利用可能であることすら知らなかった。

これには、緊急時環境線量情報予測システム、またはSPEEDIとして知られている放射線検出器の全国的なシステムが含まれている。テラダ氏と他の顧問は、彼らは事故から5日目の316日まで、そのシステムの存在を知らなかった、と言う。

もし、以前から知っていたなら、福島の原発からの放射性物質が北西に吹き飛ばされる模様を、SPEEDIの早期予測を見ることができたはずであると、批評家で、菅首相の派閥議員であるカワウチヒロシ氏は言う。カワウチ氏は、北へ非難した原発周辺の住民の多くは、その地域では冬の間、風が南に吹くこと(北風)を根拠としていた。そのため避難者たちが放射性大気に直接巻き込まれた、と彼は言う。 まさに彼らは放出された放射線の危険にさらされた。

カワウチ氏は言う。彼が、SPEEDIを管理する文部科学省の当局者に、なぜ彼らがこの最初の重要な時に首相が情報を利用できるように手配をしなかったのかと尋ねたところ、彼らは、首相官邸は我々に情報を求めて来なかった、と答えた。

「もっと感情的なことだ。」マツモト氏は、菅首相の事を言う。「彼は、決して官僚を信用しない。」
これは菅首相の逸話の一つだが、1990年代半ばの厚生大臣の在任中、HIVに汚染された血液が自身の厚生省で使われたことを暴露して有名になったのだ。その血液で数百人の血友病患者がエイズで死亡した。菅首相は、官僚と製薬会社担当者が以前から長く、その汚染された血液のことを知っていたことが、わかったのだ。

菅首相にとっては、原子力施設は、経済産業省の官僚と従順な学者らが手助けする公共事業と政治的に癒着し、この種の共謀の最悪例を表している、とマツモト氏は語る。
(続く)

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